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表出する暗黒 斎藤潤一郎の世界について

最終更新: 2020年10月21日



斎藤潤一郎という、際立った闇(もしくは光)の中で孤高に創作を続ける一人の芸術家についての所感を記したい。


私が『死都調布』という作品の存在を知ったのは、かつて私と同じ地元で活動していたai7n氏からSNS上で教えてもらったのがきっかけだったか。とにかく、まだ単行本にはなっておらずリイド社内のトーチwebが運営するサイトに連載中の『死都調布』を読んだ瞬間「あ、ヤバいものを見た」と感じた。


ヤバい、にも当然グラデーションがある。


この曲やべーね(おざなり)のヤバいから


人の生死に関わる現場を目撃した時(非常にまずい)


などに出るヤバい、まで色々とあるが


斎藤氏の世界観は、まさしく最上級のヤバい、だった。


SNSで以前斎藤氏は、すべてのコマがきちんと自分の中では整合性が取れていて意味がある、ということを言っていたが、表面上、例えば「骸骨が火を吹くイメージはモータルコンバットの影響です」と答えていようがそれはその形のモチーフに過ぎず、その描写が作り出す世界観が含む意味や解釈のようなものは、ついぞ我々読者には提示されることはない。それを読む我々は、半ば強制的に各々が抱える闇や暴力性に向き合わされることになる。


斎藤氏の処女単行本となる『死都調布』を改めて読み終えた時、私はこの作品集が、漫画という入れ物で書かれているにもかかわらず、まるでバロウズの短編集を裁断機で切り刻みコールタールで固め形作られた黒い正方形のオブジェのように思えた。まるで暴力装置として生み出され、存在するというだけでこの世の秩序や均衡が崩されるような禍々しいもの。


と、言葉を連ねていくら誉めたたえようと、作者にとってはどうでもいいことだということは、身を以て痛感していることでもある。私自身が、曲で作り出す世界観をいくら言葉を並べて褒め称えられようとも、くすぐったくも嬉しい感覚を覚えるとはいえ、それは自身の創作には全く関与してこない、ただの言葉の連なりでしかない、と感じる人間だからである(おそらく斎藤氏もそうであろう)。なので、ここでいくら賛辞を述べようとも、この強烈な世界観の前では無意味な行為でしかない。


故にここでは『ヤバい』という言葉がいかに、ある種の創作をする人間にとっては、唯一送ることのできる賛辞の言葉なのか、ということを伝えたい。


斎藤氏の作り出す世界観は


圧倒的にヤバい、のである。


例えば、フランシス・ベイコンの作品のように、暴力を想起させる世界観の表出する『力』そのものによって、好きか嫌いかが明確に別れる芸術家と同じく、斎藤潤一郎の創り出す世界観は、曖昧な中間の感情を許さない。読者に与えられる選択肢は、好きか嫌いの二択しかないのである。決して軽い意味合いではなく、本質的にヤバいものを体感したければ、この芸術家の作品を手に取ることをお勧めする。


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